fc2ブログ

記事一覧

高野山成慶院に宿坊を定める

宿坊を定める
 
1568(永禄11)年年11月1日、高遠城主時代の諏方勝頼公は高野山成慶院(→和歌山県高野山町)を高遠領の高野山宿坊とし、「高遠領の貴賤、この已然に高野山に宿坊無き仁、向後は成慶院へ寄附せしむ」(「桜池院所蔵文書」)と定めました。高遠領の住民が高野山に参詣する際に、宿舎を持っていなければ身分の高下に関係なく、これから後には成慶院に宿泊するようにと命じたのです。

高野山成慶院は1560(永禄3)年7月13日に信玄が宿坊と定めており、甲斐武田氏と関係の深い宿坊です。その成慶院を高遠領の人々の宿坊と決定しているのは、勝頼公が父信玄の影響を受け成長してきたことを示しています。また、「高遠領」という表現には、勝頼公の郡主としての意識が強く出ているともいえます。彼は高遠領主としての道を着実に歩んでいたのです。

1568(永禄11)年には3月27日に正親町天皇が東大寺大仏殿再興の綸旨を諸国に下しています。同年11月12日には肥前大村純忠が大村に耶蘇会堂を建立しており、九州の一部にキリスト教(→旧教)が根付き始めていた頃です。戦国時代の人々にとって宗教は現代人以上に重要な問題でしたが、武田氏にとっても神仏はとても大切だったのです。

 

高野山成慶院 
高野山成慶院 

甲府の留守居役
 
勝頼公は武田氏の中枢に位置するようになっても、1568(永禄11)年に高野山成慶院を高遠領の高野山宿坊としたように、依然として高遠領主であり、自らを諏方氏として意識しています。
さらに、勝頼公は内容から1568(永禄11)年もしくは1569(永禄12)年頃と思われる8月16日に栗原信友に次の書状を送りました。

 

きっと飛札せしめ候。仍て駿東の陣触■重ねて目付差し越され候や。その後如何とも御注進無く候。御心許なく存じ候。申すに及ばず候と雖も、その御城の御用心等、普請以下御油断あるべからず候。案内者の儀に候間、美作・豊後両人に何事も御尋ね、御注進然るべく存じ候。恐々謹言。
         諏方四郎
  八月十六日  勝頼(花押)
  栗原伊豆殿
          御陣所
      
(『窪田家文書』)   

勝頼公は駿河駿東郡の状況(→信玄の今川領侵攻)について尋ね、城の普請等に油断しないようにと命じています。ただし、文書そのものに問題がないわけではありません。同じく1569(永禄12)年頃のものと推定される3月13日付の跡部九郎右衛門尉への書状では、

御出馬以後は、当府御留守何事もなく罷り在り、御心易く思し召さるべく候。近日西上野へ御越山候や、承りたく存じ奉り候。ここもと駿州境目本栖・河内御用心等、油断あるべからずの由申し遣わし候。美(→美濃)・尾(→尾張)・三(→三河)・遠(→遠江)の様子も承り届け、言上致すべき為、大嶋にも飛脚差し越し候。定めて一両日の内罷り帰るべく候間、きっと注進申すべく候。これらの旨宜しく御披露に預かるべく候」(『保阪潤治氏所蔵文書』)

と文章をしたため、「四郎勝頼」と署名しました。跡部が出陣して以後、甲府は何も変わることもないので安心するように、近日中に西上野に攻め入るか報じなさい。駿河と甲斐の境目に近い本栖(→南都留郡富士河口湖町)や河内の用心等において、油断してはならないと申し遣わした。美濃・尾張・三河・遠江の状況についてもこちらに言上するように。大島城(→長野県下伊那郡松川町)へ送った使いはきっと1日か2日の内に戻って来るであろうから、すぐに報告する。これらの旨を(→信玄に)御披露してほしい、と記しています。

明らかに信玄に次ぐ人物として指示を出していたことが分かります。勝頼公の目配りは大変広く、配慮もたいしたものであるといえます。彼が単に武力だけの将ではなかったことは明らかです。政治家としての視野の広さは、父信玄の血筋を確実に引いているからでしょうか。それとも彼自身の資質による所が大なのでしょうか。

 勝頼公
諏方勝頼公(画像提供:NHK)

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

武蔵守

Author:武蔵守
心から敬愛する武田勝頼公とその妻北条夫人(桂林院殿)を顕彰するブログです。死後、信長に「日本にかくれなき弓取」と評された武田勝頼公と恵林寺快川国師より「芝欄」と称えられた北条夫人を歴史学の立場から贔屓なく顕彰したいと思います。

*************
羅針盤ゼミナールで日本史専門講座「北条塾」を主宰。当塾のお勉強ブログ「子孫が語る鎌倉北條氏の真実」と当塾公式ブログ「らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~」も執筆中です。よろしくお願い致します。

フリーエリア

励みになります。記事がよかったら押してくださると嬉しいです。

羅針盤ゼミナールのお勉強ブログと徒然ブログ